朝鮮学校の歴史早分かり

朝鮮学校はその名のとおり、日本に暮らす在日コリアンの人々が自らの言葉、民族性、文化、そしてアイデンティティを育み伝えるために作った民族学校です。

朝鮮学校は幼稚班からはじまり、初級学校、中級学校、高級学校、大学校と、日本の幼稚園から大学までの教育課程に合わせた体系が一貫してそろっています。学校の数は全国合わせて120余り。ここまで一貫した形で民族教育の体系が整備され、それが半世紀以上ものあいだ続いているのは、実は非常に凄いこと!ある国に居住する民族的なマイノリティが主体となって、ここまで立派な教育体系を作り上げた事例は、世界的に見ても中々探すのが難しいほどなんです。

もちろん在日コリアンの力「だけ」でここまで来たわけではありません。朝鮮学校がここまで発展するためには、この地に暮らす日本人や他のマイノリティの人々との協力が欠かせませんでした。

 

朝鮮学校の歴史は、1945年8月の終戦間もない頃から始まります。朝鮮半島が日本の植民地支配を受けていた時代に日本に渡ってきた在日コリアンは、大日本帝国の「皇国臣民」になるため以外の教育を受けることを許されず、自分たちの言葉も歴史も文化も満足に学ぶことが出来ませんでした。終戦によってその状況から解放された在日コリアンは、自分たちの民族性を守り育むための教育を、新しい世代の子供たちのために一から創りたいとの思いを持って立ち上がり、日本の各地に建てた「国語講習所」を立て始めました。今の日本ではどこに行っても見つからないような、トタン板とむき出しの柱で作ったようなお粗末な講習所。そんなボロボロの国語講習所から、朝鮮学校は第一歩を踏み出したのです。

 

国語講習所から始まった朝鮮学校は、在日コリアンが戦後結成した最初の民族組織である「在日本朝鮮人連盟」(朝連)の結成後、組織的な発展を見せることになりました。終戦から一年後の1946年9月までに、早くも6年制の正規の初級教育課程を備えることになり、同年10月からは中等教育の実施も始まるなど、急速な成長を遂げたのです。教材の編さん委員会もつくられ、1948年4月までの2年間に92点、100万部もの教科書と教材が作成されています。また、この教材作成には、日本人の教育関係者有志による大きな助けがありました。

 

しかし、順調な発展を見せていった朝鮮学校に最初の試練が訪れます。「朝鮮人が自分たちで勝手な教育をしている」という事実に根拠のない不安と偏見を持った日本当局が、アメリカ占領軍(GHQ)と手を組んで朝鮮学校の閉鎖に動き出したのです。朝鮮学校を守るために立ち上がった在日コリアンは、一致団結して日本当局とGHQに抵抗しました。とくに1948年4月24日に起こった4.24教育闘争での闘いは激しく、二万人もの在日コリアンが大阪府庁前に結集したことに恐怖した日本警官隊の銃撃によって、当時16歳だった金太一少年が尊い命を落としました。

 

民族教育を守るための在日コリアンの願いと抵抗を見ても、日本政府は考えを改めることはありませんでした。逆にいっそう激しい、ヒステリー的とも言える弾圧に走ります。そして1949年10月、朝連の強制解散の直後に「朝鮮人学校閉鎖令」が出され、全国的な広がりを見せていた朝鮮学校の発展の芽は、権力によって強引に踏み潰されてしまいました。

 

だけど朝鮮学校は一度や二度の困難ではめげません!日本当局とGHQによって強引に解散させられた後も、民族教育をつないでいくための運動は粘り強く展開されていきました。朝連を引き継ぐ形で成立した「在日本朝鮮人総聯合会」(総連)の結成後、朝鮮学校は再び組織的に発展し、全国に初等部、中等部、高等部までの一貫した教育体系を備えた朝鮮学校が組織されます。1956年には朝鮮大学校が創立され、1968年に学校法人の認可を獲得しました。その後も朝鮮学校の法的地位を確立するための運動は続き、1975年に山陰朝鮮初中級学校が認可を得たことで、日本に広がる全ての朝鮮学校が、民族教育を続けるための法的な正当性を勝ち取ることになったのです。

 

朝鮮学校を支える人々は、民族教育を守り育てていくために、学校法人としての認可以外にも数々の権利を勝ち取ってきました。定期券の学割料金の割引率適用、各自治体からの補助金支給、大学受験資格の獲得など、少しずつ、しかし着実に土台を築き、日本社会で共生する道を拓きつつありました。

しかし2002年9月、金正日総書記と小泉純一郎首相の間で開かれた日朝首脳会談で北朝鮮側が拉致問題の存在を認めた後、状況は一転します。拉致は確かに痛ましい悲劇であり、人道的見地からも許されることのない犯罪ではありますが、日本の一部の政治家は、その責任の一端がまるで朝鮮学校にあるかのような発言を平然と行い、一部メディアも誹謗中傷としか言い用のない報道を繰り返しました。

日本社会で急速に膨れ上がった朝鮮学校に対するバッシングはエスカレートする一方であり、2009年に誕生した民主党政権が掲げた目玉政策である、高校授業料無償化政策からの朝鮮学校の狙い撃ち排除、その動きを受けて当時の橋下徹大阪府知事が大阪の朝鮮学校に対する補助金廃止を強行したことにはじまる全国的範囲での補助金支給見送りと、とどまるところを知りません。そして第二次安倍政権発足直後、下村博文現文科相が高校無償化政策から朝鮮学校を除外する省令を通達したことは、まさしく現在の朝鮮学校が、戦後間もない頃の民族教育潰しの再来と言える状況に置かれていることを如実に示すものでした。

 

だからこそ、今、朝鮮学校を支える人々の力が必要とされているのです。